「……お知り合いかしら?」 キャサリンが最初に沈黙を破った。その声にすでに柔らかさはなかった。引き締まった表情が、彼女の非情な合理主義を鋭く告げていた。
「大学時代の同期でね」 アーロン・ヘイズ博士は答えた。キャサリンの疑いの目に、ステファンはただ首を振ることしかできなかった。
ステファンの事情など察することなく、ヘイズ博士は続けた。ステファンはそれを見て観念した――アーロンが空気を読むことはない。この鬼気迫る雰囲気などお構いなしに、こいつは話したいことを話し続けるだろう。
「ふたりとも人肉食に興味があるということで、よく議論したものさ。もっとも、専門の方向は違うがね」 思わぬ再会を、純粋に喜ぶ中年男性。ひげをいじる手つきはすでにおさまっていた。
「……そうだな」 ステファンは短く答えた。「会えてうれしいよ」
「俺もだ」 博士は答えた。
しばしの沈黙ののち、博士はふたたび話し出した。「で、一体今日はなにをしに来たんだ? 俺の記憶がただしければ、お前はたしか、えっと……」 ふたたびひげをいじる手。
まずい、ステファンは直感した。身分をバラされては、取り返しのつかないことになる。非認可の人肉工場にとって、人肉協会の人間など、最も忌避すべき相手のはずなのだ。ステファンは焦り、策を探った……
……いや、考えている時間はなかった。彼の知るアーロン・ヘイズという頭脳は、たしかに頭の回転は遅かった。だが、いったん考え始めれば、結論が出るまで決してあきらめることはなかった。
そして、彼が自信をもって送り出した考えが、まちがっていることはほとんどなかった。そして今、彼はそう難しくない問いに、答えを出そうと考えている。
分の悪い賭けだとは分かっている。だが、なんとかこの馬鹿正直野郎に、話を合わせてもらうしかない。ステファンは意を決して、だが遅かった。ふたりのことばは、ほぼ同時だった。
「人肉卸売店の社長だ」
「そうだ、人肉食協会の上層部、だったな」
キャサリンの目が、疑念から確信に変わった。
ステファンはもと来た道を走り出した。逃げるしかない。「おい、どうした!」 背後でアーロンが叫んだが、構わなかった。情報はだいぶ掴んだ。どうにかして、出口へ。道は単純だ。それから先は、どうとでもなる。
ステファンは人肉食部門のオフィスを抜け、事務のところを通りかかった。廊下を疾走する得意先にその場の誰もが驚いた――だがとっさのことに、捕まえようとするひとは誰もいなかった。後ろを振り返ると、アーロンは追ってきていなかった。キャサリンは追おうとしてはいたが、ハイヒールではうまく走れないようだった。
逃げ切れる。ステファンは廊下を駆けた。無数のドアのある、何本もの廊下。そのすべてに、未来の人肉が詰まっている。逃げながら、ステファンはお気に入りのゾンビ映画を思い出した――もし部屋が解放されれば、わたしは意志のない無限の人波に飲み込まれてしまうのではないか?
背後に追っ手の足音を聞き、ステファンはスピードを上げた。丁字路を左に折れ、肺と心臓の悲鳴が聞こえた。だがここを逃げ切れば、エレベーターにさえ乗ってしまえば、あとは待たせているタクシーを走らせるだけで済む。
急げ、駆けろ。追っ手はまだだ。蛍光灯のセンサーより速く、ステファンは走った。こんなに走ったのは学生の時以来だった。左右の無数のドア。エレベーターはつきあたりのはずだ……
だが、目の前に現れたのはエレベーターではなかった。
行き止まりを前に、ステファンは呆然とした。背後に足音が近づき、そして止まった。
ステファンはおそるおそる振り返った。そこには、先ほどのおしゃべりな事務員が、悪魔的な笑みを浮かべて立っていた。
「入るのはいいが、出るのは難しい。初めて来たときは、みんな迷うんだ。
ここはそうできてるのさ。お前は、曲がり角を一本間違えたんだよ」