カンニバル食堂 ⑪

オフィスは広々として、社員はまばらだった。入ってすぐのテーブルでは、事務員と思わしき社員が数人、それぞれのディスプレイを眺めていた。そのうちのひとり、いちばん恰幅のいい男性が、机の上のコーラに数秒おきに口をつけていた。

 

「はじめてお目にかかりますね。今日はどのようなご実験で?」 凛とした顔立ちの若い男が、ステファンに声をかけた。驚くほどの愛想のよさは、こんな人里離れた工場で働くにはもったいないほどだった。なみの科学者であれば、彼の雰囲気に魅了されて、じぶんの研究内容を嬉々として語り始めたことだろう。

 

「この方は科学者の方ではありませんよ」 キャサリンはたしなめた。「リチャード・コールマン社長、わたしたちの人肉を購入してくれる方です」

 

「この方でしたか!」 表情を謝意から歓喜に変えながら、男は言った。その口調から真の感嘆を感じ、ステファンは身分を偽っていることを申し訳なく思った。「お名前はかねがね伺っております」

 

「ありがとう」 それでもどうにか、ステファンは答えた。キャサリンは歩き出し、ステファンはそれに続いた。

 

次のブロックは、人肉販売の企画部だった。人数に対して明らかに多すぎる机の数は、工場がこの部門に最近力を入れ始めたことを意味していた。

 

壁に張られた資料の中に、ステファンは『コールマン食肉卸店』の文字を見つけた。「おお」 ステファンは思わず喜びかけ、キャサリンはそれに気づいてうなずいた。そしてようやく、自分がリチャードではないことに気づいて恥ずかしくなった。

 

「商談につきましては、あとでここでとり行いましょう。ですがいまは、次のスペースをお見せします」 キャサリンは言い、ステファンが歩き出すのを待って進んだ。

 

次のブロックは、共同研究用のスペースのようだった。さきほどの話によれば、軍の心理学者との。十人ほどのの人がいて、あるものは議論に、あるものは自分の作業にそれぞれ没頭していた。壁のホワイトボードが数式と専門用語で埋め尽くされているのを見て、ステファンは大学時代を思い出した。わけのわからない教授の話。人肉食になんて何の興味もなかった、ひとりの学生。

 

キャサリンは、そのうちのひとりに近づいていった。その男はどうやら考え込んでいるようで、背もたれのない椅子に座りながら、右手はたえず髭を引っ張り続けていた。「ちょっといいかしら?」 キャサリンは声をかけた。

 

「大丈夫だよ」 男は答えたが、顔を上げることはなかった。そこまでしてもらわなくてもいいのに、そうステファンは言いかけたが、自分がリチャードであることを思い出して踏みとどまった。

 

「ありがとう」 キャサリンは言い、ステファンに向き直った。「こちらはヘイズ博士です。認知科学が主流のこの場所にあって唯一、彼は人肉の研究をしています」

 

「よろしく」 やはり顔を上げないまま、博士は言った。

 

「リチャード・コールマンだ。よろしく」 ステファンは言った。

 

「すみません、愛想が悪くて」 そう弁明するキャサリンの姿は、さながら幼い博士の母親のようだった。「ですがわたしたちの肉の味は、彼のおかげだと言っても過言ではありません」 その間もずっと、博士はひげを弄り続けていた。

 

やはり、邪魔はしない方がいいだろうか? いかに失礼にふるまわれようが、人の集中を削ぐようなまねはすべきではない。ステファンは思い、そしてだからこそ、邪魔を試みた。

 

「なるほどな」 ステファンは言い、思いつく限りいちばんの皮肉を言った。「十歳の肉が美味い、って事実はたしかに画期的だ。ところで、それはもう論文にしたのか?」

 

ヘイズ博士はむっとして、はじめて顔を上げた。濃いひげが擦れ、空気が不快感に歪んだ。「は? できるわけが……」 そう言いかけて、博士の口が止まった。

 

その顔に、ステファンは見覚えがあった。それが誰かを思い出すと、彼は瞬時に凍り付いた。だが博士は無慈悲にも、ステファンがもっとも言われたくないことばを口走った。

 

「おい、ステファン、ステファン・ロイドじゃないか。来るなら来ると言ってくれよ」