カンニバル食堂 ⑧

作戦は順調だった。キャサリンは、ステファンに――得意先のふりをしている人肉協会のスパイに――工場のオフィスを見せて回った。長くまっすぐな廊下、左右には中の見えない会議室。カリフォルニアという州じたいの単調さを差し引いてなお異常なその長さは、それでも会議らしき声の欠片を、いたるところから漏れ出させていた。「すげぇ数の部屋だな、キャサ……キャシー」 ステファンは率直に言った。

 

「そうでしょう。わたくしも最初は驚きました。ですがこのひとつひとつが、わたくしたちの工場を支えているのです」 ハイヒールの硬派な音。だがその響きは、左右の部屋から漏れる雑音に消えた。「ここまで大きくなるとは、わたくしも思いませんでした」

 

ステファンは意図して、無作法な質問から始めた。「そうだキャシー、君はいくつだ?」 内心引け目を覚えながらも、ステファンはリチャードの真似を楽しんでいる自分の加害性に気づいた。

 

キャサリンははっきりと答えた。「今年で三十二になります。入社して十年です」 凛として力強い物腰。少々の揺さぶりでは、とても崩れそうにない。

 

「となると、数年前まで、ここに空室はあったってわけか」

 

「はい。むしろ、埋まっている部屋のほうがすくないくらいで」 キャサリンは答えた。

 

ステファンはキャサリンを、その金色の髪を眺めた。実年齢よりもかなり若く見えたが、それでも彼女には大人の風格があった。肌は氷のように滑らかで、それは仕事と自分自身の感情とを分ける、厳然たる防壁のようだった。

 

無限の廊下がようやく終わりを見せ、キャサリンは言いかけた。「右に曲がりますと、オフィス区域に……」 

 

そのとき突如、地獄のような奇声がふたりの耳を襲った。「オエェェェ!!」

 

キャサリンの整った顔が初めて不快感に歪んだ、ステファンはそれをはっきりと見た。「申し訳ありません」 そうキャサリンが言うのとほぼ同時に、ステファンは訊ねた。「今のは?」

 

「お見苦しいところをお聞かせしました。どうかご容赦ください。人が多いと、こういうことも起きてしまうのです」 その緑の眼鏡の奥の目が、いまのことは忘れてさっさと次へ行こうと告げていた。まったく同じ目をする愛娘を思い出し、ステファンはつい引き下がりかけた。

 

だがステファンの中のリチャードが、なんとか彼に仕事を思い出させた。「いや、気分を害したわけじゃねぇ。むしろ、キャサ……キャシー、ほんとうは何が起こったのか教えてくれよ」 ここで押さなきゃ、何をしに来た。

 

冷房の風が金髪を揺らした。キャサリンは答えた。「お聞きになったとおりです。部屋にはたくさんの人がいます。おそらく、あなたの想像よりずっとたくさんの。そしてそのすべてが、静寂を好むわけではないのです」

 

たくさんの、人? ステファンはいぶかしんだ。それが理由になる? そもそも、そんな奴は会議に呼ばなきゃいいはずじゃないか? 「そんなんじゃ、ろくな会議にならないだろうに」

 

「会議、ですか?」 とキャサリン

 

「え?」 言いながら、ステファンはようやく違和感に気づいた。たくさんの人、だが空っぽの駐車場。ネットにすら情報の見当たらないこんな場所で、どうしてわたしはビジネスが行われていると思ったのだろう?

 

スパイがばれたかもしれない。ステファンの視界が色を失った。ただでさえ長いこの廊下はいまや、決して脱出できぬ定義通りの無限だった。もしこんな砂漠の真ん中で捕まって詰問されれば、どんな目に遭っても不思議ではないだろう。

 

だが、ステファンの命は長らえた。それどころかむしろ、彼の質問は怪我の功名だった。彼の正体には気づかぬ様子で、キャサリンは胸を張り、求めるすべてを話してくれた。

 

「申し訳ありません、お伝えしておりませんでした。こちらの部屋は、会議室などではございません。

 

この部屋の中身こそわたくしたちのいちばんの財産、なべて二万体ほどの、食用人間の収容室でございます」