ハイエナの食肉生産

研究とは未知の探究だから、結果はやってみるまでわからない。たとえば、とても解けそうになかった問題も、ひとつ気づけば芋づる式に解けてしまったりする。逆に、組み上げた論理の最後のひとピース、枝葉だと思ってのこしておいたところが、実は本質的に難しいことだってある。

 

研究はこんなにも予測不能なのに、研究者はコンスタントに結果を出さなければならない。いや、正確に言えば、わたしはコンスタントに結果を出したいと思っている。ほかの研究者がどうかは知らないが、わたしの研究の喜びは問題を解く喜びだから、結果が出なければ楽しくないのだ。

 

だからわたしは、結果が出るテーマに飢えている。なんでもいいから、わたしに解ける程度には簡単で、かつわたしが興奮して発表できるくらいには解きがいのある問題を。そして、こういうなんでもいい状況では、取るべき戦略は決まっている。下手な鉄砲を、数撃て。

 

というわけで、わたしが求めるのは、鉄砲を数撃つ方法だ。そして、この前書いた通り、鉄砲を数撃つためには汎用的なフレームワークを見つければよい。ひとつのフレームワークから複数の問題が自動的に出てくるから、とても効率的だ。

 

これはすばらしい研究法に見えるが、じつのところ重大な問題がある。世の中にはわたしと同じ考えの研究者がたくさんいて、おなじようにフレームワークに飢えている。だから、既存のフレームワークはたいてい研究し尽くされている。たとえるなら、フレームワークと研究者は、肉とハイエナのようなものだ。問題という肉を食らうのは早い者勝ちで、わたしのようなのろまなハイエナが気づいたころには、肉はもうとっくに食いつくされている。

 

さて、ここでひとつ、発想を逆転させてみよう。探すのが無理なら、フレームワークを作ってしまえばいい。これなら、わたしが食らう前にほかにたかられる心配はない。わたしが食らってはじめて、その肉は肉になるからだ。

 

はたして、これはにわかに魅力的な提案だ。フレームワークさえ作ってしまえば、わたしはただ安心して肉にありつけるだけではない。フレームワークのエッセンスは、えてして一番シンプルな問題に詰まっているから、わたしはいちばん楽しく、創造的で、それでいて簡単な問題を解くことができる。言い換えれば、わたしは肉のいちばんいい部位を食らうことができるのだ。

 

もちろん、世の中はそう甘くない。既存のフレームワークにあてはめるのに比べて、フレームワークをいちから作るのはだいぶ難しい。否、正確には、フレームワークじたいは、おそらくいくらでも作ることができる。いくらでもこじつけることができる。だが、そのなかでどれを選べばいいのかは、わたしには皆目見当がつかない。

 

だがわたしには、過去に似たようなことをしていた時期がある。研究よりはだいぶミニチュアだが、それでもオリジナルの設定をつくり、思いをめぐらせ、かたちにするいとなみを。きょうはほんとうはそれについて書きたかったのだが、前置きが長くなりすぎたので、続きは明日に回すことにする。論文とおなじく、日記だって書くまで長さはわからないのだ。