誰にだって、ひとと共有したいものごとがある。わたしとは何者か。わたしの好きなものは何で、嫌いなものは何か。小説や、映画や、あるいは社会問題をみて、わたしはどう感じたか。
みながそう思うから、世の中には表現の手段がたくさんある。ツイッターやフェイスブック。直接会って話すこと、もし難しければ酒を味方に。もし後世があなたを評価するなら、自伝を書けば読んでもらえるかもしれない。
伝えたいことには、通常いくつものレイヤーがある。わたしとは何者なのかを調べて知る人に、まず知ってほしい肩書と実績。不特定多数を笑わせるための、ツイッターの駄洒落。同じ趣味をもつ仲間とのマニアックな話題。本当に親しい人にしか知られたくない、人生の悩み。
この日記も、そんなレイヤー分けの産物である。ここの内容は、わたしをはじめて知る人やフォーマルな関係性のひとには伝わってほしくない。でも、ある程度親しいひとには、むしろ読んでほしい。正確に言えば、そういう場で書きたいことがたくさんあったからこそ、この日記をはじめたのだ。
これだけ長く続いていることからもわかるように、この日記は成功だったように思う。半年前のわたしは、そういう絶妙にセンシティブな思考を、どこにも吐き出せず悶々としていた。いまではもう、その心配はない。
さて、思った先から文章にしている以上、今のわたしは長々と悩まない。毎日書こうとすれば、そんな時間はないのだ。悩んだら、どうすれば文章にできるかを考えて、結論を出す。結論と話の流れが出そろったら、やおらキーボードを叩いて、ことばを書く。これを、一日のサイクルでやる。
ことばとは、自分を変える強力なツールだ。わたしの発した言葉は、わたしのことばだからこそ説得力がある。毎日言葉を発すれば、わたしは毎日わたしに説得される。毎日説得され続けているから、わたしは毎日規定されなおし続けている。だからわたしは、過去に類を見ないペースで変質し続けている。
そして、ことばの影響力はかならずしも個人の中にとどまらない。誰にだって、ほかのだれかのことばに感化された経験がある。わたしには、感化する側になりたいという欲求がある。誰かの心にわたしという傷を刻み込みたいという、自分本位でサディスティックな欲求が。
わたしは変質し続けている。その過程はほとんどここに残しているから、あなたはそれを追うことができる。そんなあなたの胸に、わたしはことばというナイフを突き立てたい。
だからわたしは、こうやって日々ナイフを研いでいる。いつかほんとうにあなたをめちゃくちゃにできる、その日まで。だから、用心しないでおいてほしい。もしあまりに速い変質の先に待つものが破滅ならば、わたしはあなたを道連れにするつもりだ。