百マス計算式研究法

わたしにとって、研究とは問題を解くことだ。研究の喜び、わたしにとってそれは、問題という絡み目がほどけていくときの爽快感である。あるいは、ほどけた糸を、証明というかたちに整然とより合わせる際の達成感である。

 

なにを解くかは、じつのところどうでもいい。しいて言うなら、わたしが得意な問題。理論の発展とやらにわたしは興味がないから (もっとも、研究費の申請書などは興味のある体で書くのだが)、ひとつの分野をつきつめる道理はまったくない。誰かからもらった問題でも、だれかの論文を読んで自分でつくった問題でも、とにかく解いて論文にできればそれでよいのだ。

 

さて、どんな問題でも論文にできるなら簡単だが、残念ながら現実はそうではない。ほとんどの問題は次のどちらかだ――簡単すぎて面白くないか、難しすぎて解けそうにない。だから、ほとんどの試みは失敗に終わることになる。

 

でもたまに運よく、ちょうどよく難しい問題が見つかることがある。具体的な条件は、つぎのふたつだ。

 

ひとつ、わたしが数週間で解けること。

ひとつ、証明を書けば、十ページ以上にはなること。

 

どうにかこういう問題を見つけて、あとは既出でなければ、論文一丁上がり、ということになる。複数見つければ、そのぶん論文が増えるだろう。わたしにじゅうぶんな問題解決能力を仮定するならば、研究とは、絶妙な問題設定を引き当てるガチャである。

 

というわけで、論文をたくさん書くためには、ガチャを当てるしかない。ガチャを当てるには、数を引くのがいちばんだ。そして、数を引くためには、一度にたくさんのチケットを用意できればよい。だからわたしたちは、チケットがたくさん落ちている場所に飢えている。

 

そういう場所には、いくつかのカテゴリがある。そのカテゴリのひとつが、フレームワークと呼ばれるものだ。すなわち、有名問題を入れれば機械的に複合問題が出てくるような、普遍的な問題設定のひな型である。

 

フレームワークが貴重なのは、ひとたびできてしまえば、有名問題の数だけガチャチケットが作れることだ。フレームワークを探すことにすれば、問題探しは理想的にはアドホックな営みからはずれて、機械的な営みになる。さながら、フレームワークを行、有名問題を列とした百マス計算のような。

 

さて、さいわいなことに、わたしはフレームワークに恵まれている。アルバイト先の先生がいいものをひとつ持っているのだ。わたしの仕事は、ただ百マス計算のその一行を埋めていくこと。問題を解ければそれでいいひとにとっては、この上ない研究環境だ。

 

さらにいえば、わたしはその行を、わたしの研究の方向性だと偽ることができる。身も蓋もないことを言えば、博士論文のイントロが書きやすくなるのだ。というわけで、わたしは論文を出す効率だけを目指していたのに、いつの間にか『何を解くかを気にする』側の研究者の要求をも擬似的に満たしてしまっていることになる。なんだか腑に落ちないけれど、とりあえずいいことだから、深くは考えないことにしよう。わたしは気兼ねなく、百マス計算の行を埋めていくことにする。