科学オタクに餌を撒く

年を取るにつれて、ひとが属する集団は均質化していく。

 

中学や高校で、わたしたちは受験の偏差値で輪切りにされる。大学では文系と理系に分かれ、専門に上がればまわりはみな同じ学問に興味がある。そして大学院に行けば、研究室には同じ分野の人間しかいなくなる。

 

いまのわたしのまわりともなれば、わたしたちはもう、その過去すら似通っている。そう、わたしたちは全員、小さい頃は科学オタクだった。それを証拠に、わたしのまわりの人間を適当に捕まえてきて、円周率が何桁暗唱できるか訊ねてみれば、みな口をそろえてこう言うだろう。「別にみんなが覚えてるわけじゃないけど、わたしは○○桁かな。小学生の頃に覚えたから」

 

さて、そんな若き科学オタクを、科学者たちは未来の同志だと思っている。だから世の中には、わたしたちのような子供のための文献があふれかえっている。もっとも、対象層は少年少女だから、大学でやるような高度な内容は扱えない。しかし、科学者たちは子供を沼に引きずり込もうと必死だから、簡単には諦めない。ではどうするかというと、難解な説明を始める代わりに、将来その学問を学びたくなるような撒き餌をまくのである。

 

たとえば、オイラーの等式、e の iπ 乗イコールマイナス 1。たいていの若きオタクたちはこの式の意味をわからないが、『世界で一番美しい等式』らしいということは、聞いたことがある子供も多いだろう。その文献の著者はこう信じている――若きオタクたちのあたまの片隅にでもそんな記憶を残すことに成功すれば、いずれ彼らはわれわれの分野へとおびき寄せられるだろう。

 

そうやって特定分野におびき寄せられたオタク青年たちには、科学者たちが報酬と呼ぶものが待っている。そう、種明かしである。教育を受け、十分な知識を獲得したオタクたちは、彼らをその分野へと引きずり込んだ数式や、現象や、考え方の正体を知るのである。

 

たいていの場合、訓練されたオタクたちにとって、その正体は思いのほか簡単である。ちょうど、ロール・プレイング・ゲームの序盤に間違えて入って即死した洞窟が、気づけば余裕で踏破できるようになっていたように。わたしにとってだけでも、そんな例はいくつもある。NP 完全性を定義する、クックの定理。量子コンピュータでの素因数分解、ショアのアルゴリズム

 

もちろん、正体を見破るのが簡単なのには理由がある。これらの撒き餌は、どれも古典的な結果だ。なぜなら古典的な研究は、分野の黎明期のモチベーションで動いていて、素人にもわかりやすく、つまり子供向けにもってこいだからだ。そうして古典的だからこそ、まだシンプルな研究領域が手つかずで残っており、つまるところ、簡単なのである。

 

さて、大学院生になれば、もうこんな餌は撒かれない。わたしたち自身が最先端だから、わたしたちはもう餌を撒くがわなのだ。ある意味これは喜ばしいことだが、やはりわたしはすこし寂しく思う。わたしは変わらずオタクだけれど、知識がついてもなお、簡単でセンセーショナルな結果を見るのが好きなのだ。