Fox Udon

英語が、話せない。

 

単語が、出てこないのだ。

 

英語には積年の恨みがあるから、一昨日もしたこの話を、今日も懲りずにぶり返してやることにしよう。

 

一昨日の話を要約すれば、あまりに基本的な単語は言い換えが効かないから、それが思い浮かばないともうどうしようもないということだ。たとえば、アメリカのクソ甘いジュースを飲んだとき。舌のバグったアメリカ人のせいで、アメリカの甘いものはマジでなんでもクソ甘いから、ジュースに対しては「甘い」以外の感想は浮かびようがないとしよう。さて、これでもし「甘い」が思い浮かばなかったら、わたしはいったいどう言えばいい?

 

さて、今日する話はすこし毛色が異なる。今日のは、厳密にはことばは思いついてはいるが、そのことばがただしいとは到底思えない場合の話だ。

 

たとえばわたしが、「時間がかかる」と言いたいとしよう。シチュエーションはなんでも構わない。遊園地の行列でも、わたしに降りかかりそうな仕事でも、はたまた人類殲滅計画でも、好きに想像してほしい。とにかく、わたしが話したいものはとんでもなく時間がかかるから、あんまり急がないでほしいと英語で伝えたいとする。

 

長年の経験から、わたしは即座に、直訳すると「それには長い時間がかかる」になるものをしゃべればいいと理解する。It takes、ここまではいい。三単現の s もばっちりだ。さて、「長い」は?

 

long...... と言いかけて、わたしははたと疑問に思う。距離が長い、これは間違いなく long だ。でも、時間が長いときに、long と言えるのだろうか?

 

「は?」と思ったあなた、安心してほしい。あなたはわたしより賢い。言うまでもなく、時間が長いのも long である。だがわたしは気づかない。わたしの頭は、時間が長いことをあらわす別の単語をさがして迷走する。

 

そう、時間が長いのが long なわけがないのだ。日本語の「長い」と一緒にしてはいけない。日本語でたまたま一緒なだけで、ほんらい距離と時間はべつの概念だ。たとえるなら、きつねうどんを Fox Udon と言うようなもの。それくらいの意味の違いが、距離と時間にはある。

 

あるいは、こういう可能性もある。基本単語に見えるが、じつは long ということばができたのはつい最近、具体的にはアインシュタイン以後だ。相対論において、距離と時間は対称だから、これなら距離と時間の尺度がおなじことばでも不思議ではないだろう。すると日本語の「長い」はアインシュタイン以後に発明されたか、あるいは日本人は古来から相対論を知っていたことになる。どちらにせよ、日本って、すごい。

 

わたしの頭を意味不明な思考が猛烈な勢いで駆け巡る一方、わたしの口は完全に停止している。まだ三単現の s を発音し続けながら。It takessssssssssssssssssssssssss... だが一向に、時間が長いことをあらわすことばは出てこない。待てよ、時間が長い、すなわち、時間がたくさん…… ひらめいた。わたしの唇がようやく動きだし、

 

It takes much duration.

……絶対これじゃねぇ。

 

パァドン?

そらそうよ。

 

Much duration.

 

Do you mean "long time"?

 

アッはい、すみません。

 

こうしてわたしは、わたしが考えすぎたと知るのである。距離が長いのも時間が長いのも英語では long で、ロシア語では длинный だ。わたしは他の言語は知らないが、たぶん世界的に、そういうものなのだ。はぁ、しょうもねぇ。

 

さて、こんなくだらない話にもし教訓があるとすれば、それは、なんか違う気がしても無視して喋れ、ということだろう。もしそれで、きつねうどんにはキツネの肉が入っていると伝わったとしても、まあそれはそれで面白いじゃないか。