わたしは英語がきらいだ

諸君、わたしは英語がきらいだ。

 

グローバル化」ということばすら使い古された世の中では、われわれは英語から逃れようがない。スピーク、オア、ダイ。すべてを先延ばしにする最強の呪文、「パードン?」だけを覚えて、われわれ非母語話者は、このファッキンでイングリッシュなリアルワールドを渡り歩いてゆく。

 

さて、わたしは英語がきらいだと言ったが、これは少々正確ではない。たとえばわたしが「"island" の 's' ってどっから来てんww」と笑っているとき、わたしは確実に英語を愛している。いかに英語のスペリングがめちゃくちゃだろうが、わたしはべつに英語という体系がきらいなわけではないのだ。

 

にもかかわらず、わたしが英語をきらうのは、英語が国際語だからだ。数ある言語を押しのけて、なぜ英語が国際語というシットな栄誉を授かることになったのかには、もちろん複雑な歴史的事情がある。だがわれわれに関係するところだけ抜き出せば、こうなる――「考えるな、黙って受け入れろ」。間違いなく言えるのは、もし突然歴史が書き換わって、朝起きたらグローバル社会のほとんどがカカオペラ語で回るようになっていたなら、わたしはカカオペラ語がきらいだと言うだろう、ということだけだ。

 

さて、わたしはなぜ国際語がきらいなのか。もちろん、まともに話せないからだ。考えてもみてほしい。国際学会で話しかけられたわたしが最強呪文「ぱーどん?」をみたび投げつけ、根負けした相手が説明をあきらめる間に、わたしはそのとなりの日本語話者とどれだけの冗談を交わし合えただろうか?

 

それでは、国際語以外ならどうだろう? 大学に入るとき、わたしは第二外国語のロシア語を、英語を超えるレベルに使いこなせるようになってやろうと決意した。なにも、ロシアでバリバリやっていこうと思っていたわけではない。どのみちわたしは英語が得意ではないから、英語をやらなければ達成できるだろうと思ったのだ。

 

結局その目標は達せずじまいだが、わたしはロシア語が好きだ。そしてなにを隠そう、英語を使いたくないとこれだけ語ってきたわたしだが、ロシアに行けば、隙あらばロシア語を使ってやろうともくろんでいるのだ!

 

長々と書いてきたが、以上をまとめれば、こうなる――「わたしは、話せることが当たり前だとして扱われている、母語でない言語を話すのがきらいだ」。

 

どうして話せないのか、それにはいろいろな原因があるし、文章にできることも多いだろう。でも今日はもういい頃合いだし、こういうふざけた文章は引き際が大切だから、それは明日に取っておくことにする。