矛盾三定理系 第九話 『月刊こどものサイエンス』誌 10 月号・科学史コーナー ③

ティルピッツは数学者ですが、物理にもくわしく、レーベルのものとはべつの実験装置を、じぶんでいちから作りました。その装置は、レーベルのものとおなじく、『右公式』ともうひとつの数学の公式のどちらがまちがっているのかをたしかめるものでした。そのもう片方は『左公式』ではありませんでしたが、それは問題ではありませんでした。実験でたしかめられたのは、『右公式』のほうがただしく、『新しい公式』がまちがっているということでした。

 

これだけなら、ウムラウフとフォルマーの主張は、まだゆるがなかったでしょう。じっさい、ウムラウフは、『右公式』と同じようにその新しい公式も間違っているだけだとして、ティルピッツの実験結果を笑い飛ばしました。しかし、ティルピッツはもうひとつ、かくし玉の実験を用意していたのです。

 

レーベルの公開実験の前日、ティルピッツはわざわざミュンヘンまで出向いて、ある実験をおこないました。ティルピッツの持ち込んだ装置は、さきほどの『新しい公式』と『左公式』のどちらがまちがっているかをたしかめるものでした。

 

ティルピッツは、レーベルの実験を見るために集まっていた数学者たちをまねいて実験をおこないました。ティルピッツの実験は、レーベルのものとちがって気体がふくらむかどうかをたしかめるものではありませんでしたが、それでもティルピッツは、装置の見た目をわざとレーベルのものに近づけていました。『左公式』がただしければ針が左に、『新しい公式』がただしければ針が右にふれます。

 

集まった数学者のうちのひとりは、このときのティルピッツの表情を、悪魔にとりつかれたような笑みだったと表現しています。数学者たちが見つめるなか、ティルピッツが装置を起動すると、針はゆっくりと右にふれました。この瞬間、『左公式』もまた実験によってまちがいだとしめすことができるとわかりました。

 

これにはウムラウフも反論できませんでした。かれの論理によれば、レーベルの実験は『左公式』と『右公式』をくらべて、『右公式』がまちがっていることをあらわしていました。ティルピッツの最初の実験は、『右公式』と『新しい公式』をくらべて、『新しい公式』がまちがっていることをあらわしていました。ウムラウフはこれに、『新しい公式』も『右公式』もどちらもまちがっていると言い返しました。

 

そして、ティルピッツのふたつめの実験は、ウムラウフにとって『新しい公式』と『左公式』をくらべて、『左公式』がまちがっていることを意味していました。すなわち、ウムラウフの論理にしたがうなら、みっつの公式はすべて間違っていることになります。しかし、ウムラウフがつくりあげた数学の理論は、『左公式』をもとにくみ立てられているのです!

 

この実験結果を聞きつけ、レーベルは公開実験をとりやめました。とうぜん、実験を見るためにすでにミュンヘンについていた数学者たちをはじめ、おおくの科学者たちが、レーベルとウムラウフを非難しました。レーベルの残した記録によれば、科学的にまっとうな批判や、やると言った公開実験をしなかったことへの非難のほかにも、かれらはおおくのいわれのない非難をうけたようです。すでに有名で、批判をうけるのにもなれていたレーベルですら、このときは数ヶ月にわたって、まったく研究が手につかなかったようです。かなしいことに、まだ若く批判にも慣れていなかったウムラウフは、それ以降、六十歳で亡くなるまで一本も論文を書きませんでした。はんたいに、ウムラウフとフォルマーとのたたかいに勝ったティルピッツは、最終的に、ドイツの数理物理学協会の会長にまでのぼりつめました。

 

レーベルとウムラウフ、そしてフォルマーの信じたことは、いまではまちがいとされています。ティルピッツが示してみたとおり、数学的なただしさは、実験でたしかめるようなものではありません。ですが、みながそう考えるようになる前――フォルマーのたとえを借りれば、地球はとまっているとみなが信じていたころ――に、その考え方に挑戦した科学者たちがいたことは、ぜひ覚えておいてください。