救国の桃太郎 第一話

文章は書きながら考えるものだから、文体は内容に影響する。

 

では、はたしてその具体的な影響とは。それを知る手段は書くこと以外にはないから、書いてみることにする。とはいえ、設定を最初から考えていては手のつけようがないから、誰しもが知る既存の物語を流用することにしよう。

 

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革命の興奮いまだ醒めやらぬ頃、辺境の農村に一組の老夫婦があった。新政府の光は国土の隅々を照らし、誰からも忘れ去られたようなこの辺鄙な土地にも、着実に啓蒙の手が伸びようとしていた。

 

老夫婦は旧政府与党の高官だった。混乱する政情に業務は多忙を極め、若き日の二人は愛し合う時間すら碌に取れなかった。そのため、二人には子がなかった。

 

新政府の敵である二人がこの農村に居場所を得られた理由は、田舎の守旧的な空気だけではなかった。二人からは、権力の傲慢な臭いがまったくしなかったのだ。亡命先の村社会に懸命に溶け込もうとする二人の努力に村民らは感銘を受け、ついに二人の苗字は百年ぶりに、新たにこの村の表札に掲げられるに至った。二人の敬虔な態度こそが、人民の敵のレッテルを引き剥がしたのだ。

 

老夫の趣味は芝刈り、老妻の趣味は洗濯であった。村民らはこれを、二人の勤勉さの象徴と見做した。すなわち、生まれてこのかた使用人にさせていたであろう仕事を二人は老いて自ら始めた、というわけである。もっとも、村民の考えは間違っていた。二人の行動は純粋に趣味だったし、だからこそ使用人など使役していなかったのである。

 

生まれ育った都市部では考えられないほどの猛暑の日。容赦なく身を焼く灼熱の陽光にも構わず、老妻は川の水に肌着の汚れをこすり落としていた。無心で手を動かすこの時間は、革命のずっと前から、老妻の心を落ち着け続けてきた。しかしこの頃の老妻の頭には、洗濯でも消えない葛藤が渦巻いていた。

 

この新しい政府は、いつまでもつのかしら。

 

このところ、老妻はたびたび不穏な噂を耳にしていた。聞くところによれば、上流のオニガシマに新たな武装組織が成立し、各村で暴行と略奪を繰り返しているというのだ。この鄙びた村にはまだ、オニの魔の手は届いていなかった。だが、反体制派との長年の衝突経験が、いずれそうなると老妻に告げていた。

 

ゲリラの鎮圧なら、二人には豊富な経験があった。だが彼らはあくまで指揮官であり、兵ではなかった。二人は効果的な戦略に関する大量の知識を持っていたが、この辺鄙な村には、二人の知識を生かせるだけの軍がなかったのだ。

 

老妻は手を止め、上流に悲痛なまなざしを向けた。その時だった。老妻の目に、なにやら不思議な影が映り込んだ。最初の一瞬、老妻はそれを猛夏の蜃気楼だと思った。だが、川面を染める異様なまでのピンク色が、これはありふれた自然現象などではないと確かに告げていた。

 

――どんぶらこ。

 

突如、聞いたこともない奇妙な擬音語を伴って、病的な認識が完全なる確信とともに老妻の脳内を駆け抜けた。老妻は目を、耳を、この世のすべてを疑った。だが、結論は変わりようがなかった。川を切り裂いて流れるそれは巨大な桃であり、そしてその音を形容する言葉は、「どんぶらこ」以外では全くあり得ないのだった。