実力への癒着 (引退ポエム 1)

ネタのストックも尽きているし、今日のことを題材にしてお茶を濁そうと思う。もともと日記なのだから、本来はそれで正しいのだ。

 

今日は Google Code Jam の Round 3 に参加した。世界大会への参加がかかっており、こんな世でなければ、一年で最も大切とも呼べるコンテストだ。

 

もっとも、私はもう現役とは呼べないから、今更通過しようなどとは思っていない。現役の頃ですら、分の悪い賭けには変わりなかったのだ。百パーセントの実力を発揮したうえで全ての歯車がかみ合えば叶うかもしれない、世界大会は、昔からそんな漠然とした夢のひとつだった。

 

結局その夢は、一度も叶わないままに潰えた。挑戦する限り厳密には可能性がある、だが今の私ではまあ無理だろう。口惜しくはない――叶わなくて元々の夢だったのだ。私は実力通りに戦い、実力通りに負け続けた。ただ、それだけ。

 

過ぎ去った夢は悲しくない。むしろ悲しいのは、あの頃と今の実力が、明確に区別できないことだ。

 

Round 3 は、前の Round 2 を勝ち上がった 1000 人による戦いだ。1000 人から 25 人を選ぶ門の狭さが、最高峰のプレイヤーの圧倒的な強さをはっきりと浮き彫りにする。私はこの 9 年間ずっと、25 人以外の残りの大勢であり続けてきた。

 

そして Round 3 において、25 人以外の中の区別は意味をなさない。つまり私の客観的な評価は、9 年間同じところで落ち続けた奴、ということになる。あわよくば勝ちにいこうと思っていたあの頃の負けも、今年の半ば敵前逃亡のような負けも、結果だけ見れば同じなのだ。

 

だから私は心のどこかで、まだ自分の弱さを認めきれない。今の自分の弱さを分かっていながら、それでもすべてが噛み合えば、まだ何かが起こると信じそうになってしまう。いっそのこと 1000 人にすら残れなければ、諦めはつくというのに。

 

今の私には実力がなく、実力を上げる気もない。勝つ努力をしない代わりに、勝つことも望んでいないつもりだ。だからこの悲しさは、失われゆく力を憂いてのものではない。

 

私の悲しみはおそらく、思い通りに力を失えないことだ。私は競技プログラミングが好きだ、実力をつけていく作業が好きだ。だが、私の腕に経験が残っている限り、味わえるのは力がつく喜びではなく、昔できたことへの追慕に他ならないのだ。