世の中は、読み切る気のしない文章であふれかえっている。
文章を前にして、人は様々な要因で挫折する。例えば、長すぎる。主題に興味がない。話が曖昧でよくわからない。不必要に漢語の多い文体に、まるで自分を見ているかのような気恥ずかしさを覚える。
実際には、挫折はそれらのこま切れの合わせ技だ。ひとつの大きな原因があるわけではないのだ。些細な違和感が少しずつやる気を削ぎ、そしてあるところで、ぷつりと緊張の糸を切る。
例えば、こんな経験はないだろうか。同じ話が繰り返されているように感じてよく見ると、同じ行を二回読んでいた。あるいは逆に、一行を読み落としたせいで、話が分からなくなった。これ自体は、人の心を折るほどのことではない――だが確実に、やる気を削ぐ。
挫折の種を丁寧に取り除くのは、書き手の重要な仕事だ。空行を入れたり、ルビを打ったり、あらゆる手を使ってバリアフリーに徹するのだ。まず、読みやすくすること。内容の本質部分以外は、本質を伝えるための補助輪だと思え。
読み手は馬鹿で、そのうえ怠惰だ。それでも、書き手は読み手に合わせなければならない。幸いなことに、私は反省の機会に恵まれている。私も馬鹿で怠惰だから、私の違和感を軽減すればよいのだ。