スロープを書く

文章を書くときは、読み手は馬鹿だと思っておくくらいがちょうどいい。

 

文章は、書き手の論理で進む。読み手は困ったとき、読む速度を変えてみたり、気晴らしに紅茶を淹れてみたり、諦めてただ reject と送りつけたりはできる。だが断じて、読み手の疑問に合わせて文章の内容が変わることはない。

 

かくして書き手と読み手は非対称だ。書き手の組んだパッケージツアーに、読み手はただ参加する。読み手が何を感じようが、読み始めた時点でもう旅程は決まっているのだ。そこにあるのは対話ではなく、一方的な論理の押し付けだ。

 

さて、ツアーにはガイドが必要だ。目的地は書き手の考えた結論だが、そこへの道案内もまた書き手の仕事になる。書き手はその道を通りなれているから、行間という段差にほとんど引っかからない。だが、ツアー客たる読み手は、引っかかる。

 

 

 

バリアフリーな理解のために、書き手は段差にスロープをつけなければならない。では、どの段差に? 私の答えは、こうだ――段差とみれば、ことごとく。

 

 

読み手からすれば、解説というスロープを過剰に感じることもあるだろう。だが、それでいい。読み手は文章の内容を変えられないが、読み飛ばすことならできるのだ。