次の山への案内はない

この日記も二か月ほど続いた。一度はテーマが尽きたと思ったが、不思議なことに、最近またスムーズに見つかるようになった。

 

 

まるで鉱脈のように、テーマはまとまって分布している。毎日書くためのコツは、たまたま掘り当てた鉱脈から何日ぶんかの主題をひねり出すことだ。昨日の文章を違う側面から見て、今日の文章を書けばよい。運が良ければ、昨日の時点で、すでにその側面にはあたりがついている。

 

もちろん、同じテーマで粘るのも、本質的には時間稼ぎでしかない。掘り当てた鉱脈もいつかは尽きる。鉱脈の大きさを知るには掘ってみなければならないから、予備のテーマをためておくこともなかなかできない。

 

だが人は皮算用をするものだ。書いてみなければ分からないのに、それでも鉱脈の大きさを議論する。大きいと予測した鉱脈が小さかったとき、私は予定より早く、次のテーマを必要とする。そしてもちろん、必要なときにテーマが降ってくるほど、思考は都合よく働かない。

 

結局言いたいことは、現在の鉱脈もあらかた掘り尽くしたということだ。だが、落胆はしていない。むしろ、これだけ書けたのなら上出来ではないか。書き始めようと決意するほどの熱意をもってしても、テーマは二週間しか持たなかったのだから。