道標を燃やす

現実は、抽象の方角を示す案内板だ。実際に何かを体感するからこそ、私はそれを理解したいと思う。

 

だが同時に、過剰な現実は、看板を見る暇を与えてくれない。目の前の出来事は、私の頭を溢れさせんとばかりに矢継ぎ早に襲い掛かってくる。有無を言わさぬ具体の蹂躙の中、遠慮深い抽象は姿をひそめてしまう。

 

だから、書くことが見当たるのは、ちょうどよく何かがあった日、ということになる。現実からヒントはもらわなければならないが、頭を支配させてはならない。

 

私の生活には特に何もないから、ヒントは基本、足りない。だが、たまにはヒントのありすぎる日もある。ネタに困るのは単にもう頭が回らないから、そういう日もたまにはあるのだ。

 

以上をまとめると、結局、こうなる――「忙しくて書けませんでした」。抽象の世界での回りくどい文章が、具体の世界ではこれほど暴力的に単純な一文になる。これこそが、具体の力だ。道標を無視し、破壊して進んでも、それでも私は生活できてしまうのだ。