夜空に星を探さない

私の頭はしばしば、制御を失った思考の濁流に捕らえられている。

 

例えば、夜。布団に入ってから眠りにつくまでの、わずかなことも長いこともある時間。思考が整理されるのか、うまくいけば時折、悩んでいた問題の手がかりが驚異的な明確さで現れてくる。

 

私は暗闇に宿る異様なまでの明晰さを知っているから、夢の世界への道中に多くを期待する。だが、暗闇の中の思考は、私の言うことを聞いてくれはしない。解決すべきテーマを持って布団に入っても、脳がそれを考えてくれるとは限らないのだ。

 

他には、学会。話を聞くためにはるばるやってきたのに、肝心の話の途中では、私の頭はまったく違う何かに支配されている。

 

話の最中、しばらくの忘我ののち、私は話を聞いていない自分に気づく。次に私は話を聞いていない自分に気づいた自分に気づき、そうしてまたその気づきに気づく。その気づきにまた気づき、そうして気づきは可算無限回の連鎖に入る。連鎖の織りなす終わりのない旋律を聞き、そうしてそのメロディーが実際には奏でられていないことに気づいたころには、話はもうはるか先まで進んでいる。

 

さながら栓のない風呂桶のように、私は大量の時間を無駄にしてきた。栓がありさえすれば、無秩序な思考を押しとどめさえできれば貴重だったはずの時間を。そして、私は栓のありかを知らない。だからたぶん、これからも、そうする。

 

野生のままの思考は確かに偉大だ。茫洋とした思考の中に、間違いなく光は宿る。だが、期待してはならないのだ。光があっても、私がそれを探すかは別問題だから。