第八話

壁の上は、アタシが思ったよりも狭かった。壁の幅は十メートルほどで、上面は日に焼けてところどころひび割れていた。先ほど崩れた部分はえぐれていて、ところどころ日陰になっていた。中央には、直径一メートルほどの円形の切れ目があった。自然にできたにしては綺麗すぎる形で、アタシはちょっと訝しく思った。

 

壁の向こうを見て、アタシの些細な疑問は吹き飛んだ。なんと驚いたことに、壁の向こうにも、アタシたちのと同じような世界が広がっていた。眼下には、訓練施設とよく似た建物が、春の光を受けて柔らかにきらめいていた。公園と思わしき空間には木が生え、道を人らしき何かが動いていた。

 

こんな世界があるとは思ってもみなかった。壁の向こうについてアタシはあまり想像してこなかったけど、おそらく何もない荒野だと思っていた。ふと「向こうははるかに厳しい世界だ」という教官の言葉を思い出して、アタシはつい吹き出してしまった。

 

なーんだ、やっぱり何も知らなかったんじゃない。偉そうだったくせに。

 

アタシは思い切り伸びをしようとして、左肩の痛みに手を引っ込めた。

 

アタシは壁の向こう側の端に腰掛けると、眼下の景色を眺めた。道路、池、雑木林。あの煙突は、たぶん工場。遠くに目を向けると、あちらの世界も壁に囲まれていた。アタシはふと、向こうにも登攀者はいるのかな、と疑問に思った。向こうから来て、アタシたちの世界を眺めた人が。

 

突如轟音がして、アタシは前につんのめった。アタシは咄嗟に右手を横に伸ばして地面を掴み、体を支えた。アタシは我に返り、任務を思い出した。ポーチに左手を伸ばすと、触れた場所にポケットはなかった――そうだ、壊れたんだった。アタシは体をひねって右手で左腰のポーチを探ったが、やはりカメラは入っていなかった。登り切ったと伝える笛も。おそらく、あの時に落ちたのだろう。

 

アタシは壁の上に立ち上がると、北に向けて歩き出した。そんなに時間はなかった。ゴミ処理場からの煙で降りられなくならないうちに、北東の角に行かなければならなかった。

 

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少し歩くと、アタシは前方の割れ目に何かが引っかかっているのを見つけた。鮮やかな緑色で、とても自然のものには見えなかった。それが何なのかは、遠すぎてわからない――でも、ここは壁の上だ。何もあるはずはない。近づくと、それはポーチだった。

 

アタシはそれに見覚えがある気がした――そして既視感の正体に気づいたとき、アタシは凍り付いた。太陽が雲の裏に隠れ、あたりが一気に暗くなった。見紛うはずはない、お兄ちゃんのポーチ。

 

お兄ちゃんは、登り切ってたんだ。

じゃあなんで、帰ってこなかったの?

教官の言う通りだった、ってこと?

 

実際、それはすごくありうる話に思えた。壁の向こうがあんな世界なら、行ってみたいと思うのも無理はない。アタシは一瞬、アタシも行ってしまおうかと思ったが、左肩の痛みがそれは無理だと告げていた。アタシは自分のポーチを外してそこに置き、代わりにお兄ちゃんのポーチをつけた。中身を確認するのはなんとなく気が引けて、アタシはそのまま歩き出した。

 

特に意識はしていなかったけど、アタシは自然と壁の左端、つまり向こう側の端を歩いていた。戻るのだから、あの世界は見納めだった。カメラがない分、しっかりとこの目に焼き付けないと。アタシはふと、向こうの世界の建物はアタシたちのより少し高いことに気づいた。

 

視界の端に、何かが左から飛んでくるのが見えた。後方で、再びの轟音。振り向くと、ポーチがあったあたりの壁から砂煙が上がっていた。

 

なに?

 

間髪入れず、また何かが飛んできた。それはアタシのすぐ近くに着弾し、アタシはよろけた。注意していたから、今度はアタシはその発生源が分かった――向こうの世界の真ん中の、煙突のようなもの。さっきは気づかなかったが、その煙突は他と違って、真上ではなくこちら側を向いていた。あれは、なんだろう?

 

再びの発射。何かがアタシをめがけて飛んできて、アタシはよけようとしてバランスを崩した。一瞬前にアタシがいた場所が崩れ、アタシは危うく落ちるところだった。これはやばい。アタシは態勢を立て直すと、北に向かって一目散に走りだした。