退化する感情の痕跡

一般に、感情の爆発は不適切な態度とされる。曰く、怒りを感じたら六秒待て。頭を冷やせ。感情に任せて安易に行動すると人は破滅する、根底にはそういう信仰がある。

 

一方で、激情をいとも簡単に抑えれば、そいつは人の心がないことになる。感動のドキュメンタリーを見れば、涙する義務が発生する。ノンフィクションとは現実のご都合主義的編集に過ぎないとしても、その指摘が直情的な涙より先にくる奴はすなわち、薄情だ。

 

現代人の例にもれず、私は感情を理性で抑え込む訓練を積まされてきた。そして、訓練の先にあるのは、感情の発露に対抗できる強固な理性……などでは決してない。抑え込まれ続けた感情は退化する。出来上がるのは、感情をコントロールする理性ではなく、感情をオーバーライドした理性だ。

 

私はもう、感情の上書きの進行は止められないと受け入れている。だからこそ、こうやって感情を記録している。失われると分かっているものは記録しておいた方が良い――喪失をむなしく思う感情が、まだ残っているうちに。

 

だからこそ、嘘を書かないように、私は気を付けておく必要がある。これは私自身の記録だから、無根拠な妄想であるべきではない。そうは言っても、毎日何かを書くのはそれなりに大変だ。思ってもいないことを、単にそれらしいからと書いてしまう誘惑はある。

 

まあ、そう心配しすぎることもないだろう。誘惑をこらえて破滅を避ける、これはさんざん訓練してきたはずだ。