日記とは三日坊主の代名詞である。
人は、喪わないために日記をつける。今日という日が記憶の彼方に消えたまま戻ってこない恐怖のために、今日という日を記録しておく。今日起こったちょっと面白いこと、今日考えたちょっと興味深いこと。日記とは、吹けば飛んでしまうその価値をなんとか繋ぎとめるための祈りのことだ。
現実には、今日はどうせ喪われる。記したところで、何の変哲もない日の記録を読み返すことはない。祈りの先にあるのは、実際にはほとんどの日には特に価値がないという失望だ。
しかし、それでも。
私は日記を始めようと思う。一日の価値が近年で最も低いこの時代に、全く変わり映えのしない生活を記そうと思う。ただ、記したいから。今日を振り返ることは二度とないと分かっていても、記すということに自体に価値を感じてしまうから。
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さて、始めるにあたって、いくつか自分向けのルールを設定しておこうと思う。これは、書き続けるための工夫だ。もともと三日坊主で上等なのだが、最初からそれを指向するのは話が違う。この場で考えたルールだから、すぐに変更したり撤回したりするかもしれない。
まず、文章の質には凝らない。今回は初回だから例外だし、気が向いたら凝ってみることもあるかもしれないが、ブログ全体としての文章の統一感は気にしない。文章執筆の練習という側面もあるが、練習をするのは気が向いた時だけだ。
満足いかない出来でも公開する。まとまりのある文章が書けるのは調子がいい日だけだ。良い一文を思いついたがそれを補強する文章が書けないのなら、その一文だけで日記としてもよいだろう。
毎日更新するつもりでいるが、一日の定義は私が一日だと感じるものを使う。生活リズムに決まった周期がないので、一週間が六日だったり八日だったりするし、更新頻度もそれに合わせるつもりだ。
他にもルールを設けるかもしれないが、この記事をそれに合わせて更新したりはしない。何かを常に纏めておくためには、多大な精神的負担が必要だ。
では、明日の私がここを更新できることを祈って。
今日はこれくらいで終わりにしておこう。