2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

革新の相対性

五十年前、世界には今のようなインターネットがなかった。百年前、洗濯は洗濯板で行われていた。二百五十年前に鉄道はなく、産業革命以前となれば、布を織るのすら完全に手作業であった。 それらに比べると現代、わたしたちは便利な世界に住んでいる。いま挙…

激しさの不在

まったく共感できない小説というものも、この世にはある。 それらはもちろん、人間の手で書かれている。わたしが共感できないからと言って一般的に見て駄作かというとそんなこともなく、そのいくつかはそれなりに話題になり、それなりに売れている。つまり単…

人間の機械性

AI が書いてくる文章は、よく整っているけれど当たり障りがなく、読みやすいけれど面白くもなく、明快ではあるけれど含みはなく、優等生的な倫理観と信頼に基づいていて、まるで学校中のだれもが善良だとは認めるけれども一定以下の距離にはけっして近寄りた…

含蓄と言語

世界や人間や意識、その他あらゆる哲学的なことがらを深く深く掘り下げ、長い年月のあいだに考えに考え抜いて育て上げられた、海のように広く豊かで底知れぬ思想の中から、一片、つまみ上げられた洞察のかけらの驚異。文章という巨大な構築物の中のたった一…

生成困難性の洞察

昨日のわたしがしたのは、芸術のひとつとしてのイラストについて、それが人間の手によるものなのかどうかが全然気にならないという告白だった。ならばほかの芸術、とくに小説や詩などのことばを用いた芸術に関しても同じ主張があてはまるかどうかというのは…

空虚とも等しい意図

人間のクリエイターには申し訳ないが、AI の描いた絵をどうやらわたしは、人間の作を見るのと同じ態度で眺めているみたいだ。 現在の AI の絵は正直、人間の絵と比べて遜色がないとわたしは思っている。思っているというのはそれがよく用いられるように、本…

旅先の記録、ブダペスト

どうやらわたしは、映像を映像のまま記憶しておくということが苦手なようである。だから今日旅先で見たものを、今回は文章に落とし込んで記憶しておくことにしよう。 八角形の交差点を曲がると、世界遺産にも登録されている有名な通りが迎えてくれる。まっす…

恐れるに足らず

さっきすこし数えてみたのだが、わたしにとって海外に来るのはこれでちょうど二十回目になるらしい。どうりで最近、だいぶ旅慣れてきたように感じているわけである。 といっても、海外にいるということに関して、特別感はまだけっこうある。日本の空港を発っ…

疲労と呪縛

疲れた。 わたしはいま、国際会議のため海外にいる。会議の三日目とレセプションを終えて帰ってきたところで、そのレセプションが長かったので、疲れた。 疲れたので、なにも思い浮かばない。なんらかの内容について毎日書くというのは、書く内容を考えるだ…

無感情の倫理

AI に感情があるのかという問いに、答えが出ることはないだろう。しかしながらより現実に即した、AI に感情があるとわたしたち人間が信じるかどうかという問いには、いずれ社会が答えを与えるだろう。 現時点では、AI には感情を認めないというのが一般的な…

流されるはずの人々は

人工知能というものに対してわたしたちが取る態度は、例のチャット AI で変わったか。正直なところ、思ったほどは変わっていない、というのが、わたしの現時点での感想である。 あれをはじめて触って、やつらの言語運用能力の高さにひとしきり驚かされてみた…

沈む太陽を追いかけて

西へと沈む太陽より、飛行機はわずかに遅い。 ちょうど時差のぶんだけ、今日は普段より長い一日。一日が三十時間くらいあればいいのに、とはよく夢見ることではあるけれど、それはこういう意味じゃない。もはや鳴っていることすら忘れてしまいそうになるゴー…

対話用言語 ②

とあるチャット AI は、内部でウェブ検索を呼び出している。人間に与えられた指令に応えるため、どんなワードで調べればいいかをやつらは自分で判断して検索を行うのだ。そして出てきたウェブページの情報を参照し、返答を生成するのに役立てる。 検索エンジ…

対話用言語 ①

AI の性能は刻一刻と向上している。シンギュラリティはすぐそこまで来ている。およそあらゆる知的ないとなみにおいて、やつらは間もなく人類の最高峰に肩を並べ、そして一瞬のうちに抜き去ってゆくだろう。 最新の言語モデルを追っていると、しばしばそんな…

現代とは未来である

わたしの日常生活に、もはやチャット AI は欠かせないものになっている。チャット AI とはつまるところ現代の技術であり、現代に住むわたしたちは、その恩恵を実際に享受している張本人なのだ。けれどもなぜだか、そのことを語る文脈はいつも、まるで現代で…

問題解決業 ①

「なんだ、簡単じゃねぇかよ……」と俺は溜息をつき、握っていたペンを乱雑に机に投げ捨てる。椅子の背に倒れ込むと同時にどっと襲ってきた疲れに、時計を眺めるともう深夜三時。明日はきっと、俺は使い物にならない。 今回は上手くいくかもしれないと、数分前…

感情試薬

もともとそうであったのか、あるいはそうあるべく望んだからなのかは定かではないけれど、おそらくわたしは少しばかり、感受性に乏しいようだ。けっして自慢するわけではないのだが、物語のいわゆる「泣けるシーン」を見ながらとくに感動することもなく、な…

安全神話と機能不全

繊細な相手を前にしてなにか一言でも不用意なことを言えば、一発で人生を失うこの世界に、きっとおおくのひとが恐怖を感じている。もう少しおおらかな世の中でもいいのにとは思いつつも、そう具体的に提言することのリスクを恐れて、ひとは不本意ながらみず…

全方位鈍感

繊細な人間が歴史上もっとも守られるようになった今日この頃、意思決定にはなににもまして、ひとを傷つけないことが重要とされている。わたしたちのすべての行動は完全に安全でなければならず、もしその原則に反してだれかの心にわずかばかりの傷をつけてし…

自由の発見

思い返してみればここ数ヶ月、ふたつのことについてしか書いてこなかったような気がする。チャット AI についてと、文章というものについてだ。 まあそれは仕方がない。チャット AI をわたしは日常的に利用しているし、それをどう使えばいいのかについて、日…

時間操作

小説の中の時間とはなかなか大胆に流れを変えるもので、そのスピードの変化といえばもうメリハリが効いているなんてレベルではない。 息詰まる勝負の一瞬、戦っている二人の刃と刃が触れ合う瞬間。その短い時間はものすごい長さに引き延ばされ、たかだか三十…

コンピュータの神性

理論研究者の端くれとして、あるいは単に数学を志したものとして、ものごとはおよそどんなものでも、理解することが大切だとわたしは考えてきた。そして特に、それが人間の作り出したモデルの上で動いているものならば、実際に理解できてしかるべきだと信じ…

唯物論的無意味

いまとなっては若気の至りとしか言いようがないが、森羅万象は科学で説明可能であると、わたしにも信じていた頃がある。 唯物論。すべては物質でできているのだから、物質のふるまいとして説明がつくという考えかた。物理学者の少なくない割合が持っている世…

二次元的文章

体裁が変わればひとの目には、同じ文章でもまるきり違って見えてくるらしい。人間の認知とは、なかなか繊細なものだ。 作家の中にはこの現象をみずからの仕事に役立てているひともいるらしい。横書きで書いたら構成するときは縦書きにするとかあるいはその逆…

論理的描写

ほとんどの文章がそうであるように、情景描写もまた情報伝達の道具である。けれどその情景が架空の場合、そこで伝達されるのがいったいどういう情報なのかと考えれば、起こっていることはすこしばかり、奇妙に見える。 情景がどこで生まれるかに注意しよう。…

書きやすい文章

文章には書きやすいものとそうでないものがある。ならば書きやすい文章とは、いったいどういうものだろう。 たとえばわたしにとって、この文章は書きやすい。この文章というのはわたしが普段日記で書いているような文章のことで、要するに自分が考えたことを…

テーマとはなにか

物語にはテーマが必須であるとはよく言われるところで、話を作りたいと思って指南文献を読み漁れば、必ずどこかにはそういうことが書いてある。生きる意味だとか生きるとはどういうことかとか生きているとはどういうことかとか、はたまたひとの温かみだとか…

直情万歳

人工知能ということばには、それが人間のまがい物であるという暗黙のニュアンスが含まれている。わたしたちが想定する人工知能とはけっして人間的な感情を持たず、ただ与えられた命令を粛々と実行するのみ。命令を実行する能力の多寡には幅があり、あからさ…

わたしたちは感情を持たない

昨今の人工知能技術の飛躍はすさまじい。ちょっと前までは、なんだか夢のありそうな技術だけどなんに使うのかよく分からないだとか、金融とか工場のスケジューリングだとかいった大人の世界の問題に役立つとか言われてもいち庶民にはいまいちピンと来ないな…

情景の認識負荷

物語には多かれ少なかれ必要不可欠な情景描写だが、実際に文中で果たしている役割を聞かれれば、どうやらなかなか判然としない。多くは話の筋に直接は影響せず、文章に望みの雰囲気を与えるために使われていると言えるだろうけれど、べつにそれがすべてでは…