2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

キノコの家 ④

「家賃はキノコ払いで」 何の恥じらいもなく、一〇一号室の鈴木は言った。 鈴木とは、本人曰く五十年間ここに住みついているらしい超自然的存在だ。痩せてしわくちゃになった肢体は、もはやキノコとどちらが菌類なのか区別がつかない。 仙人を自称するその老…

キノコの家 ③

さて、そんな登記上は建物とされているだけの原木が、築七十五年の時を経てなおなんとか新たなバイオームを定義せずに済んでいるのは、ひとえに管理人たる俺の努力の賜物だ。 家賃の徴収と、キノコの伐採。これがきわめて一般的な大家、すなわち俺の二大業務…

キノコの家 ②

さて、そんなカサタテ荘最大の特徴が、キノコである。 何をいまさら。そう思われても、まあ無理はないのかもしれない。雨漏りとキノコは、ボロ屋敷の風物詩だから。 だが少し、取り合ってほしい。長くはかからない。 始めよう。木造建築とは何か。 これすな…

キノコの家 ①

共生とは自然の神秘である。 例としては、カクレクマノミとイソギンチャクの関係が一番有名だろう。塗りたてのペンキのような白い縞の映える、クマノミの鮮やかなオレンジ。その身体を包み込むように海底に揺らめく、有毒のイソギンチャクの触手。 その光景…

美人は性格が悪い ③

ラディカルな意見は、ひとを惹きつけるものだ。たとえそれが、破滅的な極論としか呼べなかったとしても。 定説とは違う意見は、新たな視座をくれるものだ。たとえそれが一面的な分析で、定説がカバーできている多くの問題に、無理のある答えを出すとしても。…

美人は性格が悪い ②

「さっきぼくは、美人が性格が悪いと思われているのはそうじゃなきゃ不公平だからだ、っていう考えを紹介したね。で、それは嘘だと証明した。 でも、ある面だけ切り取ってみれば、そう主張する人たちの考えはじつはすごく正しい。美人が性格が悪い、っていう…

美人は性格が悪い ①

まあまず、以下のセリフをご覧いただきたい。発言主はわたしの脳内に住まう何らかの存在、すなわちわたしであって、わたしではない存在だ。 ……もうすこしきちんと言えば、わたしが思いつける発想だという点でわたしではあるが、わたしが本当に信じていること…

理解を理解しない ④

きみはじつは、何も理解していないんじゃないか。 声がふと、頭のなかに聞こえた。いったん耳を傾けると、それは羽毛のような圧力で部屋を埋め尽くす。囁くようでいて重厚な、力強くも飄々としたテノール。ぼくのまだ知らない仙人の声。すなわち、この世にた…

理解を理解しない ③

どんな不思議も、見続ければすぐに慣れきって、気にも留めなくなってしまう。 どんな魔法も、使い慣れれば新鮮味はなくなって、ただの生活の知恵のひとつになってしまう。そしてもし、わざとらしい手品のトリック以外に使い道がなかったら、ひとはそれを役立…

理解を理解しない ②

その後の五分間でぼくが知ったのは、宇宙を構成する全素粒子の一覧と、クフ王のピラミッドの内部構造と、三年前にニュージーランドで見た、原色の絵の具をそのまま塗り固めたようなけばけばしい黄色の頭の鳥の名前と、ビーフストロガノフの作り方と、ぼくが…

理解を理解しない ①

サハラ砂漠をそのままコピペしてきたような暴力的な朝の光が、半ば寝ぼけたぼくの網膜を突き破って、見続けようとしていた夢の残滓を跡形もなく焼き払う。零れ落ちることすら許さずに唐突にぼくの世界は消え、だが遮光カーテンを勢いよく開けたその張本人は…

理解を理解すること

いったいどういう意味なのだろう。なにかを、理解するとは。 もしあの子の前でこうこぼしたなら、彼女はなにをいまさら、と言って嗤うだろう。ぼくの脳内に生息していたりいなかったりするその少女はどこまでも気高く、凛とした両目に親愛と同情の入り混じっ…

困難の処遇について

きみが現実の問題をなにかひとつ解決しようとしているとして、きみはおそらく、それとぴったり同じ問題を解いたことは一度もない。現実というのは複雑なもので、ある程度骨のある問題なら、たとえ昔解いた問題とどんなに似通っているように見えたとしても、…

むかしむかし、めでたしめでたし

身近な他人とは、誰かの人生に喜びをもたらすもっとも普遍的な機構だが、実のところ彼らがやっているのは、その誰かの人生を縛り付け、彼らの価値観でがんじがらめにすることだ。交友関係の広さゆえに全方面に気を遣うことを覚えた博愛主義者とは、なにか大…

最良行動計 ②

勤務の終了を告げるメッセージが画面に浮かび上がるのを見て、リチャードは即座にファイルを保存し、パソコンを閉じた。真っ赤なけばけばしい文字で五分を刻むこのカウントダウンは、完全にあらかじめスケジュールされたもので、最良行動計とは連動していな…

最良行動計 ①

月曜日の朝。電池式の目覚まし時計の音で目覚めると、リチャードは普段通りにキッチンへと直行し、トースターのボタンを押した。電熱線が赤熱し、食欲に紐づけられたジーという音を出し始めるのすら待たず、彼は電子レンジの上のコーヒーメーカーと、最良行…

合理原理主義者の肖像

人生が自己満足の最大化にすぎぬ以上、賢人とは、ゲーム理論的な合理主義に厳密に従う人間のことだ。少しでも人生を真面目に生きる気がある人間なら誰しも、ひとがときに冷徹さと呼んで忌避するいくつもの判断を論理性と最大利得の名のもとで執り行わねばな…

複雑さと独自性

世界という機構は単純に巨大であるがゆえに、わたしの思いついたアイデアは、すでにほかの誰かが考え、実行に移している。仮にわたしの脳がさえわたっており、とても陳腐とは呼べぬはずの発想をしたところで、七十何億という暴力的な地球人口による統計的な…

求道の到達点

人生はあまりに短く、なにかを真の意味で極めることはできない。どんな道にだって例外なく、幾多の挫折を乗り越えてその道を探求し続ける玄人がいて、彼らは先人のおらぬ無人の荒野を、行く先も分からず、しかし確固たる足取りで探究している。彼らを突き動…

共感性羞恥 ②

山岡のことばを、わたしは頭のなかでくりかえしてみた。「人間は愚か」というあの格好つけたことばを思い出すといまでも、このマットレスとかけぶとんの間の空気は恥ずかしさそのもので、わたしはそんなさなかに身体を預けてしまっているような気がした。「…

共感性羞恥 ①

昨日、数学の木村先生が教室に入ってきたとき、わたしたちはいつものようにおしゃべりを続けていた。チャイムはすでに鳴っていたけれど、健全な高校生がそんなことで黙るわけがなく、先生はやっぱりいつものように、教壇の上で困り果てていた。先生たちも両…

前提でぶちのめせ

世界が存在していると思ってもらうには、まずぼくらはその世界を、聞き手に大量にぶつけて、打ちのめしてやらないといけない。その世界に普通に転がっているなにかをところかまわず拾い上げて、何発外してもいいから、とにかく投げつけ続けて勝負を仕掛ける…

それは文学か? ②

理論の論文は文学かと問われれば、少々の逡巡ののち、わたしはイエスと答えるだろう。文字の羅列はすべからく文学であるというラディカルな意見(あるいは思考停止)は抜きにしても、純粋に未知なるなにがしかへの好奇心(あるいは、誰かの背伸びした虚栄心…

それは文学か? ①

もっとも寛容に解釈すれば、文字のどんな羅列だって文学と呼ばれうるわけだが、実際のところわれわれはそう考えない。猿がタイプライターを叩いてできた文章をわれわれは文学とみなさないし(もっとも現代においては、そんな気まぐれな動物に頼るよりも、適…

冷笑主義者たちの実像

すべてのことにひとは説明を求め、少なくない割合で、自らの手で説明を与える。説明の積み重ねは人生経験と呼ばれ、年を取り、すでに考えたことだけでよりよく世界を説明できるようになるのと反比例して、新たに何かを説明すべき機会は減少してゆく。かくし…

刹那の中の巨大性

すべてを記憶するのが現実的でない以上、われわれが見たなにかを記憶し、少しでも有用な知識や教訓を取り出そうとするならば、われわれはことばというテクニックを用いて、物事の本質を短くまとめあげる必要がある。あるいは景色や感情を、それを見て誰かが…

本質の覆い方

自然科学とは捨象の賜物であり、その徒であるわれわれは常に、物事の本質たる抽象のみに集中することを是としている。対象が科学であるかによらず、物事の表層の具体性のカバーをわれわれは取り外し、その可能な限りの反復を経てなお、最後に残るものが何か…

競技研究者の肖像

良き論文とはすなわち通る論文であり、ひとたび悪しき論文を書けば、われわれはメールボックス内の "We regret" の検索結果を、さらに積み上げ続けるための不毛な作業に追われることになる。研究とは論文を通す競技であって、無事に Accept の栄誉に浴した論…

諸君、現実の美を受け入れよ

「諸君、長すぎる余生に辟易する諸君、健全な肉体に不健全な精神を宿す諸君、創作に職や自己実現をではなく、空虚な日常からの隠れ家の機能を求める諸君、そしてその逃避行が自己実現であるべきだと、みずからを騙し続ける諸君! 諸君は自覚せねばならぬ、諸…

遅すぎる創作欲へ

青年期を何かしらの勉学に費やし、無事につつましやかな人生の見通しを獲得したわたしたちは、まるで手に入れた安泰こそが理由かのように、オリジナルなものを生み出す衝動に駆られている。あるものは絵を、あるものは小説を書き、それはわたしたち自身の成…